内的経験 こころの記憶に語らせて
エリクソンの「ライフサイクル」、世阿弥の「稽古の思想」といった切り口からスピリチュアリティの位相に迫ってきた著者が、人生の後半に、生のさまざまな段階で出会ってきた「正解のない問い」の前に立ちもどり、〈内的経験〉を見つめなおす。
子どもの頃の不思議、自分の内側から、自分を越えてやってくる促し。願うこと、期待することを手放したとき、与えられるもの…… 一見、きわめて個人的な経験のようにみえる記憶のかけらを拾いあつめ、人の内側にある目にみえないものへの気づきを、教育人間学の内側、スピリチュアリティの手前から綴るエッセイ。
目を閉じる
散歩の中でーー憶えているわけではないのだけど
目をオフにーーブラインドウォークの達人
内的経験ーー「内」側から
ーー誰かにおしゃべりしたくなったらーー
決める/決められない
やる気と気まぐれーーおもしろさの予感
決められないーー内的な促し
どちらがよいかーー「どちらでもよい」の奥の奥
祈る
祈る人々--「無の祈り」の先に、もう一度「有の祈り」
あなたの幸せーーエゴイズムがひっくり返る瞬間
何もしてあげられないーー「させていただく」のか
受け入れる/受け入れられない
なぜ神はーー「すべてはよい」か
運命ならばーー「仕方がない」か
なぜこの人たちがーー『サン・ルイス・レイ橋』(1)
死者となった者たちの声ーー『サン・ルイス・レイ橋』(2)
ーー食べてもらえ[小さな物語]--
つながる
臆病なのにーー二十歳の旅から(1)
なぜか縁あってーー二十歳の旅から(2)
書きながら/書いてみて
期待していると来ないーーこころの記憶に語らせて
記憶のかけらーー自分の生を書くということ
子どもの頃の不思議、自分の内側から、自分を越えてやってくる促し。願うこと、期待することを手放したとき、与えられるもの…… 一見、きわめて個人的な経験のようにみえる記憶のかけらを拾いあつめ、人の内側にある目にみえないものへの気づきを、教育人間学の内側、スピリチュアリティの手前から綴るエッセイ。
目を閉じる
散歩の中でーー憶えているわけではないのだけど
目をオフにーーブラインドウォークの達人
内的経験ーー「内」側から
ーー誰かにおしゃべりしたくなったらーー
決める/決められない
やる気と気まぐれーーおもしろさの予感
決められないーー内的な促し
どちらがよいかーー「どちらでもよい」の奥の奥
祈る
祈る人々--「無の祈り」の先に、もう一度「有の祈り」
あなたの幸せーーエゴイズムがひっくり返る瞬間
何もしてあげられないーー「させていただく」のか
受け入れる/受け入れられない
なぜ神はーー「すべてはよい」か
運命ならばーー「仕方がない」か
なぜこの人たちがーー『サン・ルイス・レイ橋』(1)
死者となった者たちの声ーー『サン・ルイス・レイ橋』(2)
ーー食べてもらえ[小さな物語]--
つながる
臆病なのにーー二十歳の旅から(1)
なぜか縁あってーー二十歳の旅から(2)
書きながら/書いてみて
期待していると来ないーーこころの記憶に語らせて
記憶のかけらーー自分の生を書くということ